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バッハを中心とするクラシック音楽についてどんどん書き込んでください。
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過去記事 <<(全1000件)>>

From juncoop To at 2005 02/07 21:47 編集 返信

今日の音楽


皆さん、こんばんわ。昨日のN響のモツレクと、ヤーコプスのフィガロ・ハイライトはいかがでした?
アシュケナージのレクイエムとアヴェ・ベルム・コルプス、表現は優しい演奏でしたが、よかったですね。N響のブラス・アンサンブルの響きが印象的でした。アヴェ・ベルムは心に染みました。

一方、ヤーコプスのフィガロの結婚、とても斬新で激しいですね・・・。ヤーコプスの金管の響かせは強烈でかなりインパクトがあります。レシタティーヴォの伴奏にハンマークラヴィアが鳴ってましたね。チェンバロで聴きなれていたので、ちょっと新鮮な感じがありました。あのフィガロはやはり面白いですね。筋書きといい音楽といい、やはりモーツアルトのオペラでは人気があるのがわかります。最後の伯爵のアリア「我が妻よ許してくれ・・」はいつも感動しますね・・。あのゆっくりと歌われる複数の重唱・・最高です・・。ヤーコプスのオーケストラはベルリン古楽アカデミーと思いきや、コンツェルト・ケルンだったのがちょっと驚きました。コンツェルト・ケルンはドランテの協奏曲集を持っているのですが、編成の小さなアンサンブルと思っていたところ、さすがモーツアルトの歌劇だけに大編成でした。このオーケストラの速いテンポの演奏など聴きますと、ただ驚くばかり・・あんなに難しい古楽器の管を易々とこなす・・驚嘆しました。




ヴェルナーのカンタータ第180番を聴く!


●バッハ/カンタータ第180番「装いせよ、おお愛する魂よ(Schmucke dich o liebe Seele*)」BWV.180(1724)

フリッツ・ヴェルナー指揮
プフォルツハイム室内管弦楽団/ハイルブロン・H・シュッツ合唱団

グラーフ(S)シェルラー(A)フーバー(T)シュテンプリ(B)ブラウン(bf)ミルデ、ウェーバー(ob)ヘルダリン(org)アントン(fg)ヴェンツィンガー(picVc)

1964年/ワーナークラシックス ヴェルナー・バッハ・カンタータ集2巻

第180番「装いせよ、おお愛する魂よ」は皆さんご存知のとおり、フルートが印象的な牧歌的なカンタータで名曲ですね。冒頭合唱のパストラーレ風の荘厳な音楽はいつも感銘を受けます。この180番はリヒターによる素晴らしい重厚かつ荘厳な演奏がありますが、ヴェルナーの演奏はとてもあたたかい表現です。他の演奏にも多いが、リヒターとは違いリコーダーを使用しているところが、その素朴なあたたかい表現を助長してます。大半の演奏は、ちょっとテンポはやめでサラッと演奏しますが、ヴェルナーは違う、この合唱の良さを最大限に発揮するために、ゆっくりとしたテンポで歌い、リヒターと同様に荘厳な雰囲気を出してます。第2曲テノール・アリアはフルートで演奏され、明るい雰囲気の快曲。ヴェルナーのあたたかさはここでもよく表現されてます。第4曲のソプラノアリオーソは少年の声のような清らかな声でした。伴奏するヴェンツィンガーのチェロがまた素晴らしい。特筆したいのは、第6曲ソプラノ・アリア。この全合奏を伴う音楽は喜びに満ちた美しい曲ですね。ヴェルナーの演奏はこういう曲をよりあたたかく表現しますので、聞き手は気持ちが大変安らぎます。いやあ・・・ヴェルナーは本当に癒されます。ぜひ180番をお聞きください。



From juncoop To at 2005 02/07 20:14 編集 返信

RE:ヴェルナーそしてリヒター

skunjpさん、こんばんわ。

>junさん、昨日ヴェルナーのカンタータ集vol.1を注文しました。


おお・・注文されましたか・・ヴェルナーかなりお気に入りになられたようですね・・嬉しいことです。


>ヴェルナーは僕にとって非常に大切な指揮者になりました。
>この人、演奏内容から言ってクリスチャンではないでしょうか?
>聴いていると心に言いしれぬ平安が広がるからです。



全くおっしゃるとおりですね・。ヴェルナーは癒しや安らぎのあるあたたかい演奏で人間味溢れてますね。


>最初クイケンでヨハネを聴いていましたが、リヒターの呪縛のせいか特に合唱がものたりません。
>そこでリヒターを聴き始めるとグングンひきこまれました。


そうなんですか・・私はまだクイケンのヨハネを聞いたことはないのですが、リヒターの表現は確かに素晴らしいですね。合唱についても情熱とか怒りとか、表現がかなり激しいし、この受難曲の物語の内容からして、リヒターの表現はかなり劇的で的を得たのではないのでしょうか・。あの緊張感に満ちた演奏や、低音の強調やアクセントの強調とかは音楽の骨格をしっかりとし重厚さ、強靭さ緊張感をもたらしますね。低音を強調してもダラダラした演奏や間延びしたゆっくりとしたテンポではだらけますが、リヒターの場合、激しく、早めのテンポで聞き手を巻き込んでいくような強引さがありますね。これを好む人もあれば、嫌がる人もいるのは解る気がします。この強引さが、私にとってはかなり快感でもあるのですが。



>たとえば、「どこへ?・・・ゴルゴダへ」のWohin?で何とも言えない余韻が残りますが、あの辺が
>とても美しかったり・・・合唱がいろいろな表情を見せます。
>>リヒターは合唱がちょっと・・・、と言う人もいますが、合唱こそリヒターの真骨頂ではないでしょうか。


そうですね・・私はリヒターの受難曲についてはかなり好きなので、この点については激しく同意しますね。ミュンヘン・バッハ合唱団は確かにアマチアと言われたりしますが、音楽的に抜群な合唱か下手な合唱かということはあるとしても、リヒターの表現は、ちょっとその次元とは離れたものかと思います。あれは合唱力の上手い下手ではなくて、リヒターの芸術的表現及び訴え方の素晴らしさというものではないかと思うのですが。そう考えると、リヒターにはもっと素晴らしい合唱団を指揮して欲しかったということが、惜しまれてなりませんね。


>それは「音楽美」より「メッセージの真実」を優先する行き方です。だから時に心に鋭く突き刺さるのです。


そうですねー。カラヤンは受難曲をオペラのように美しく表現しようとし・・豪華な声楽陣を招きますが、リヒターは逆にわざと激しい声質で美しさにこだわらない声楽陣を招き演奏すると言うことをどっかで読んだ覚えがありますね。「メッセージの真実」を優先するというのは、全く同感です。あれはまさに、リヒターの訴え方なんでしょうね。



>リヒターのマタイと並んで、これ以上はない音楽と演奏だと思いました。


私はグッテンベルクとか聴いてませんので、まだまだなんとも言えませんが、リヒターの受難曲はやはり一目置きますね。いろんなマタイやヨハネを聴いてきましたが、私自身の好みから言えば、やはりリヒターが好きですね・・。





←カール・リヒター












From Skunjp To juncoop5@goo at 2005 02/06 20:33 編集 返信

ヴェルナーそしてリヒター

junさん、昨日ヴェルナーのカンタータ集vol.1を注文しました。

ヴェルナーは僕にとって非常に大切な指揮者になりました。
この人、演奏内容から言ってクリスチャンではないでしょうか?
聴いていると心に言いしれぬ平安が広がるからです。


・・・さて、今日は日曜日なので受難曲を聴きました。

最初クイケンでヨハネを聴いていましたが、リヒターの呪縛のせいか特に合唱がものたりません。

そこでリヒターを聴き始めるとグングンひきこまれました。

たとえば、「どこへ?・・・ゴルゴダへ」のWohin?で何とも言えない余韻が残りますが、あの辺が
とても美しかったり・・・合唱がいろいろな表情を見せます。

リヒターは合唱がちょっと・・・、と言う人もいますが、合唱こそリヒターの真骨頂ではないで
しょうか。

それは「音楽美」より「メッセージの真実」を優先する行き方です。
だから時に心に鋭く突き刺さるのです。

もちろんソリストも最高!クライマックスはプライのイエスが「事終わりぬ」と言って、アルトの
アリアが始まる当たりでしょうか。
ヘルタ・テッパーの圧倒的な歌の力!
これは聴く者を霊的な領域にまで連れて行く希有の歌唱です。

そして、圧巻は最後のコラール!

天的なソットヴォーチェで開始し、次第にクレッセンドする音楽。そして終結の
Ich will dich preisen ewiglich! わたしはとこしえにあなたをほめ称えます! では、喜びと
賛美が天に向かって湧き上がります。
圧倒的なエンディングです。

リヒターのマタイと並んで、これ以上はない音楽と演奏だと思いました。

From juncoop To at 2005 02/06 17:25 編集 返信

ヴェルナーのカンタータ第149番を聴く!

●バッハ/カンタータ第149番「人は喜びもて勝利の歌を歌う(Man singet mit Freuden vom Sieg)」BWV.149(1728/29)

フリッツ・ヴェルナー指揮
プフォルツハイム室内管弦楽団/ハイルブロン・H・シュッツ合唱団

ギーベル(S)ヘルマン(A)イェルデン(T)ヴェンク(B)アンドレ(tp)ピエルロ、シャンボン(ob)ヘルダリン(cem)

1964年/ワーナークラシックス ヴェルナー・バッハ・カンタータ集2巻【推薦】


このカンタータは全体的に明るい祝祭的気分なのですが、ヴェルナーの演奏はとても素朴ですね。特筆したいのは、アグネス・ギーベルの第4曲アリアでとても美しい。この第4曲ソプラノ・アリアがあるから149番は良いといっても過言ではありません。もちろん、冒頭合唱やコラールも素晴らしい。最終曲のコラールはヨハネ受難曲の終曲コラールと全く同じ旋律の曲で感動します。他のアリアはちょっと面白い曲が多くて、おとぼけみたいな音楽もあります。第2曲アリアのチェロ・ソロとか、第6曲デュエットのファゴット・ソロの旋律はとても面白い曲ですね。


4.[ソプラノ・アリア]

神の御使いは決して屈する事なく、
どんな時にもわたしの側にいてくれます。
わたしが寝る時には見守っていて、
わたしが行く時、
わたしが起き上がる時には、
その手で支えてくれるのです。


このソプラノ・アリアの素晴らしさは、バッハのアリアの中でも特に優雅で美しい曲だと思っております。弦の優雅な旋律とソプラノの美しさ。とても印象に残ります。こういうアリアは好きなので、もっとバッハには沢山書いてほしかったですね・・。
このアリアの存在が149番をお勧めする所以でもあります。ぜひ皆さん、ヴェルナーかリリングでお聞きください。




From juncoop To at 2005 02/06 17:20 編集 返信

バッハ/カンタータ第80番を聴く!

バッハ/カンタータ第80番「われらが神は堅き砦(Ein feste Burg ist unser Gott)」BWV.80(1724?/1727〜31改作)[SATBschoOrch][8曲]

マルティン・ルターのコラールによるコラール・カンタータ第80番は、私がバッハのカンタータではじめて聴いた曲なので、とても好きで思い出のある曲です。この曲を聴いたから、バッハのカンタータを聴き始めたと言っても過言ではありません。それは、今から25年前のことで、演奏はエルハルト・マウエルスベルガーでした。

リリングはカンタータ第80番を2回録音してまして、1回目は日本コロンビアから出ていた、教会カンタータ全集、2回目は、ヘンスラーやBMSバッハ全集に収録されているもの。1回目がフリーデマンが補筆したトランペットとティンパニが入ったもので、2回目はバッハの原典版を使用。リリングの演奏は、1回目のほうが演奏としては好みとなっています。特に第2曲デュエットの優雅さとか、スケールの大きさ、表現の豊かさはとてもいいですね。この2回目は、冒頭合唱がモテット風なのはいいのですが、デュエットがリヒターのような力強い演奏で、弦に優雅さが欠けるのが惜しまれる。

ヴェルナーの80番は、フリーデマン補筆を使用していますが、とてもゆっくりと重厚な冒頭合唱で、これもなかなか聞物ではあります。第2曲デュエットは少し軽めの演奏ですが、あたたかさがありますね。

リヒターの場合、とても力強くて、ちょっとやりすぎの感があります。このリヒターにマウエルスベルガーのような優雅さはみじんもありません。力強いバッハをお好みならリヒターでしょうね。

マウエルスベルガーの場合、冒頭合唱のチェロパートをファッゴットで使用しているのがとても効果的で、合唱のゆっくりとしたテンポがモテット風でなかなか綺麗ですよね。第2曲のギーベルとアダムのデュエットの素晴らしさは、絶賛に値します。この80番を超えられる演奏が出てくるかどうか・・。

まあ、いろいろ演奏はありますが、この80番とても優れたカンタータだけに、ルターのコラール「神わがやぐら」のコラールの名旋律といい、傑作ですね。


その他、ロッチェ、ミュンヒンガー、ルーシンク、アーノンクール、ゲネンヴァインの演奏を聴きましたが、コメントは差し控えたいと思います。


【推薦盤】


●バッハ/カンタータ第80番「われらが神は堅き砦(Ein feste Burg ist unser Gott)」BWV.80

エルハルト・マウエルスベルガー指揮

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団員/聖トマス教会合唱団

アグネス・ギーベル(S)ヘルタ・テッパー(A)
ペーター・シュライヤー(T)テオ・アダム(B)

1966年/アルヒーフ(廃盤)【大推薦】



From juncoop To at 2005 02/06 21:09 編集 返信

今日の音楽

皆さん、こんちは・・・。

montさん、お久しぶりです・・。

さて、今日は10時28分のNHK教育の芸術劇場で、ヤーコプスのフィガロの結婚ハイライトがありますね。

N響のほうは、モーツアルトのレクイエムが9時から。

今年は、モーツアルトの年かなにか?

今、昨日のクラシック・ロイヤルシートのブレンデルを見てます。モーツアルト・ピアノソナタc、シューベルトの即興曲作品90−3はやはりいいですよね・・。

●montさん、skunjpさん

グッテンベルクのマタイ良さそうですね・・・私も手に入れようとしたのですが、断念。でも、いつか必ず。

●ところで、3/10にラミンのヨハネとカンタータ集が、再発されるとのこと・・以前edelから出ていたものか? 6000円程らしいです。悩むところです・・。




From Skunjp To juncoop5@goo at 2005 02/05 23:21 編集 返信

演劇的マタイ

>まるで、空から舞い降りた淡い真綿のような雪が、川のせせらぎや水溜りの上
に、その水面(みなも)にふれた途端、吸い込まれるようにかき消えてゆくあの
一瞬!

・・・おー、なんと美しい。montさんお久しぶりです。(^_^)/

最近お久しぶりの方が多くて嬉しいですねー。

さて、僕も先ほどグッテンベルクのマタイを聴きました。

素晴らしいアルトですね。

それと強く感じたのは合唱の強烈さです。

受難のドラマをえぐり出す「演劇的マタイ」と感じました。

From mont_54 To juncoop5@goo at 2005 02/05 14:26 編集 返信

(ご無沙汰の上に)突然ですが・・・

(昨年予告の)アンケ・フォンダンクの魅力

この人の魅力について語る時、何からどう説明して良いのか?
まず声質から考えてみますと、基本的にはやや硬質なんですけれども、
それを、まるでゼリーかオブラートで包み込んだような甘味さがあります。
母音の発声に良くメリハリがついて、とても聴きやすい感じです。

理屈はともかく、
グッテンベルグ、2003年版「マタイ受難曲」第二部冒頭のアリア(第30曲)
これをさえ聴けば、その魅力が良くわかるでしょう。
この人のディミュニエンドはとてもきれいで、おまけに音の消し方が天才的。

「今、私のイエスは去って行かれた」この hinの後に来る全休止(半休符による)
バッハお得意の「ゼネスト効果」なんですが
突如おとずれる静寂の中に、残る、その余韻の、喩えようもない美しさ。
でも(喩えようもない〜)と言いながら、しっかり喩えるのが僕の悪い癖で(笑)

それは・・・桜の散りぎわの美しさ等という、ありきたりのものではありません。

まるで、空から舞い降りた淡い真綿のような雪が、川のせせらぎや水溜りの上に、
その水面(みなも)にふれた途端、吸い込まれるようにかき消えてゆくあの一瞬!
水の上に降る雪は、どんなに降ったとしても、決して積もることはありません。
そんな切ない美しさとでも言うのでしょうか。(僕はいつもここで身震いしてる)

この余韻こそは今、目の前から消え去った愛するイエスの面影(残像)に相違なく、
優しく応唱するコーラスの「一緒に探して上げましょう」という呼び掛けに対して
「ああ、良心に何と答えたら良いのだろうか」(←実は会話が成立していない)
という茫然自失の様相がいっそうの哀れを誘い、とても涙なしには聴けません。

・・・

たまたまjuncoop さんから、ヴェルナーのマタイについて、素晴らしい解説が出て
いたので、無礼を承知で割り込みました。m(_ _)m

(とうに2月となりしが)みなさん、明けましておめでとうございます。
ご挨拶が前後しましたが、今年もよろしくお願いします。

それからskunjp さん、暖かいお見舞いの言葉をありがとうございました。


From Skunjp To at 2005 02/05 13:23 編集 返信

温泉

ひろしことjuncoopさん、僕も今朝は102番、137番を聴きました。

じんわりとしみ込みような独特の滋味あふれる響き・・・
まるで魂が音楽の温泉につかっているようではありませんか。

僕は第一巻を持っていないので87番は聴けません。
これはどうしても欲しいですねー。

HMVでは値下げして49500円になってますね。
ウーン、悩むー。


nujikoaさん、お久しぶりですね。

「反論受付中・・・」・・・いいですねこの表現。ホッとしますね。

厳しいことを書いても最後にこれをつけると、なごんだ感じになるので重宝しています。(^^;)


From ひろしです・・(juncoop) To at 2005 02/04 22:36 編集 返信

ヴェルナーのカンタータ第87番を聴く!


●バッハ/カンタータ第87番「今までは汝らなにをもわが名によりて(Bisher habt ihr nichts gebeten in meinem Namen)」BWV.87(1725)

フリッツ・ヴェルナー指揮
プフォルツハイム室内管弦楽団/ハイルブロン・H・シュッツ合唱団
テッパー(A)クレプス(T)ケルヒ(B)ピエルロ、シャンボン(obc)オンニュ(fg)バルヒェット(vn)アラン(org)

1959年/ワーナークラシックス

この87番はとても地味な存在なんですが、冒頭はバス・アリオーソから始まり、その音楽はとても渋く優れております。第3曲アルトアリアはダカッチャとファゴットによる伴奏ですが、ちょっと異質な感じ。第4曲テノールの弦伴奏で悲痛なレシタティーボに続き、第5曲のチェロ・ソロと通奏低音伴奏によるバス・アリアがまたかなり渋い・・しかもかなり暗い・・。この87番はバッハの中でもかなり異質な音楽ですね。第6曲テノール・アリアはこの87番の中でも逸品! チャーミングポイントとなってます。弦による明るい希望に満ちた伴奏、しかも渋い。それまでの音楽が暗くて陰気な感じであったためか、余計にこのアリアは際立っております。歌詞は、

6.[テノール・アリア]
わたしは悩もう、わたしは黙ろう、
イエスがわたしに救いを示してくれるだろう、
彼はわたしを苦しみの後に慰めてくれるのだから。
去れ、不安よ、悲しみよ、嘆きよ、
一体何でわたしが怖気づくことがあるだろう?
じっとしていよ、悲しむ心よ!


この「イエスはわたしを苦しみの後に慰めてくれるのだから。
去れ、不安よ、悲しみよ、嘆きよ、 一体何でわたしが怖気づくことがあるだろう」はとても勇気付けられる内容ですね。しかも音楽は美しく華麗です。

第7曲コラールはオルガン・コラールにも編曲された素晴らしい曲。「7.[コラール] わたしは悲しまなければならないのでしょうか? わたしの事をイエスが愛してくれるなら、 わたしにとってあらゆる痛みは 甘美な蜜となります。 」というもの。


ヴェルナーのカンタータ第87番を聞いて、再び地球のかけがいのなさを感じました。・・・・はて、ちょっと違うような・・このセリフ、NHK「地球・大自然」のいつもの終わりのセリフでは?

ヴェルナーの第87番を聞いて、バッハのカンタータの素晴らしさを再発見しました!・・・今日はこれでいっとこ・・。



From juncoop To juncoop5@goo at 2005 02/04 21:41 編集 返信

ヴェルナーのマタイを聴く  その3

●バッハ/マタイ受難曲BWV244 

フリッツ・ヴェルナー指揮

プフォルツハイム室内管弦楽団/ハイルブロン・H・シュッツ合唱団

ギーベル(S)Gunther(A)クレプス(Evange) ケルヒ(Jesus) ウェデルマン(B)バルヒェット(vn) コッホ(gamb) ランパル、ラリュー(fl) ピエルロ、シャンボン(ob) アラン(org)

1958/ワーナークラシックス


さて、今日は(最後の晩餐)から聴いていきたいと思います。

(イエス) 「よくおまえ達に言っておく、
おまえ達の中の一人がわたしを裏切るだろう」
すると弟子達はとても悲しみ、
彼らの中の誰もがイエスに問い始めた。
(合唱)「主よ、それはわたしですか?」


10. [Choral] 10.[コラール]
わたしです、わたしが罰を受け、 両手、両足を
地獄につながれるべきなのです。
鞭と縛め、 そしてあなたが耐えたもの、
それがわたしの魂が受けるにはふさわしいのです。


このコラールの優しく荘厳な演奏に感動しました。ヴェルナーの演奏するコラールは感銘を受けます。また、弟子たちが「主よまさか私ではないでしょう?」といぶかしげに尋ねる合唱はとても激しく響きます。


11.[聖句]
イエスは答えて言った。
(イエス) 「手をわたしと同じ鉢につけている者、
その者がわたしを裏切るだろう。
確かに人の子が去っていくのは
聖書に書かれているとおりだ。
人の子を裏切ろうとしている者は災いである。
その人は生まれて来なかったほうが彼のためによかったであろう。」
その時、イエスを裏切るユダが答えて言った。
(ユダ) 「わたしがそうなのですか、ラビ?」
イエスは彼に言った。
(イエス) 「おまえが言っているとおりだ」

この部分はとても好きなところでその音楽と歌詞はとても厳しい。ヴェルナーの演奏はただ厳しいのではなく、しみじみと深い音楽が伝わってきます。特にイエスの伴奏の弦の深さは聴くものに荘厳さと神聖さを与え、その言葉の深さと音楽の深さの両方をバッハが与えることにより、われわれ聞き手はより深く感銘を受けるのである!!


≪最後の晩餐≫

彼らが食事をしている時、
イエスはパンを取り、
感謝の祈りをしてそれを裂くと、
弟子達に与えて言った。
(イエス) 「取って食べなさい、これはわたしの体だ」

そして杯を取ると感謝の祈りをして、
彼らに与えて言った。
(イエス) 「皆この杯から飲みなさい、
これは新しい契約の為のわたしの血、
多くの人の罪の赦しの為に流されるもの。
おまえ達に言っておく、
わたしは今から後はもう、
ぶどうから造られた酒を飲む事は無いだろう。
わたしの父の国でおまえ達と共に新たに飲む、
その日まで」


この最後の晩餐は、マタイの第1部でも一番感銘を受ける場面ですね。荘厳な弦の伴奏で歌われるイエスの言葉は我々聞き手の心の奥底まで響きます。ヴェルナーの演奏はイエスの言葉をとても優しい弦の伴奏によって包み込み、感動を与えます。


From juncoop To at 2005 02/04 21:12 編集 返信

いつまでも感動する、レーマン

私が、最近 LOWテンションなのは、日向さんから指摘があるとおりなのですが、そのためかよく聴く音楽がやはり、

レーマンのバッハ/カンタータ第39番と105番です。

この演奏は、葛の葉さんから、ご紹介いただいたもので、とても貴重な演奏だと、感謝しています。

気分が鬱なときは、いつもこの2曲のカンタータを聴いております。この二つのカンタータの冒頭合唱の素晴らしさは前にも書込みしたとおりなのですが、レーマンの演奏・・・とても心に染みます。聴いた後はため息が出ます。

私にとって永遠の名盤であります。


From juncoop To at 2005 02/04 20:58 編集 返信

今日の音楽

皆さん、こんばんわ。

●nujikoaさんお久しぶりです、クレンペラーですか・・いいですね。モーツアルトにはまりましたか。クレンペラーのバッハはマタイやロ短調などいいですね・・。しかしクレンペラーのベートーヴェンの荘厳ミサだけは私はお勧め出来ない。
クレンペラーのベートーベンの交響曲はステレオの60年代はテンポがゆっくりで、あまりお勧め出来ませんが、50年代のモノラルでフィルハーモニア管弦楽団による運命と7番は絶対お勧めであります。激しい激しい! それからクレンペラーのメンデルスゾーンのスコットランドもいいですよねーー。渋い!

モーツアルトについてはクレンペラーのモーツアルト歌劇序曲集とかフリーメーソンのための音楽とか持っているだけなのですが、なかなかいいですよ!

●今日は日向さんから久しぶりにあたたかい励ましのメールをいただきました。日向さんにメールで返事を書いたのですが、なぜか戻ってきます・・なぜだろう?

日向さんのBBS1への書込みぜひお待ちしてます。皆さんも楽しみにしてますから!


From nujikoa To juncoop5@goo at 2005 02/03 23:22 編集 返信

おひさしゅうございます

おひさしゅうございます。
相変わらず、じゃなかった、さらにパワーアップした有意義な議論を楽しく読ませていただいてます。

「反論受付中・・・」という短いコーダが、好影響(あるいは悪影響?)を及ぼしているように感じます(^^

さて私はといえば・・・まだモーツァルトから抜け出せません。
いつから続いているんだろう・・・半年前くらいにモーツァルトの魅力を発見して以来、「本当に」「毎日」「モーツァルトオンリー」の日々が続いてます。(自分でもオドロキ)
まだ、当分続きそうなのです。一体バッハはどこへ行った?・・・(^^;;

ただ、モーツァルトを通じて、今まで食わず嫌いしていた「クレンペラー」の指揮のスゴさにも打たれてしまったので、彼のベートーヴェンやバッハ(!)にもいずれチャレンジしてみたいと思っているこの頃です。

では、また・・・

From juncoop To at 2005 02/03 23:17 編集 返信

ヴェルナーの表現の優しさ

skunjpさんの、お話、とても深く心に響きました。それはまるで教会の牧師さんのお話を聞くように思いました。

私は、ヴェルナーの演奏ではじめてバッハのカンタータに入門したのですが、今から23年前の話です。

ヴェルナーのカンタータ第104番「イスラエルの牧者よ、耳を傾けたまえ」の冒頭合唱を取り上げると、以前葛の葉さんも感動されていたように、とても優しい合唱であります。あの104番は、大半の指揮者が力強い合唱で演奏します。ところが、ヴェルナーだけはとても優しい。あのカンタータは牧歌的なイメージがあり、ヴェルナーの優しい表現が、ぴったりとくるのです。

1.[合唱]

イスラエルの羊飼いよ、聞いてください
ヨセフを羊のように護る方よ、
姿を現してください、ケルビムの上に座する方よ。

(『詩篇』第80編第2節)

短い歌詞ですが、この曲は、果たして力強く呼びかける合唱かどうか、曲想からも優しい合唱が合うような感じがします。

ヴェルナーの経歴については以前にもお話しましたが、やはり彼のあたたかい人柄が音楽表現にも反映されるのでしょうか?



From skunjp To juncoop5@goo at 2005 02/03 22:11 編集 返信

罪人の視線

ヴェルナーのマタイは良さそうですね。

僕はヴェルナーの演奏がとても琴線に触れてきます。

厳密には縦も横もぴったり合っているとは言い難く、緊張感にも欠けるのに
なんでこれほど心に触れてくるのだろう?

たとえば、105番です。

この曲は何か暗い禍々しい雰囲気があってちょっと苦手な曲の一つなん
です。・・・歌詞は次のとおり。

 Herr gehe nicht ins Gericht mit deinem Knecht.
 主よ、あなたの僕を裁きにかけないでください。
 Denn vor dir wird kein Lebendiger gerecht.
 あなたの前で正しいとされる命ある者などいないのですから。
                          (だもさん訳)

これをほとんどの指揮者は、迫ってくるような裁きの音楽として響かせます。
リヒターは特にそうで、鈴木さんでさえ聴いていて苦しい。

それが聴く者の心を刺し貫き、悔い改めに導くという効果はあるのかもし
れませんが、いかにも暗く、聴いていて気が滅入るのです。

つまり、これは普通、上から、裁く立場から発する音楽として演奏されるのが
通例になっているんです。(・・・と感じられます)

が、ヴェルナーは違う・・・

ヴェルナーの演奏は、じっくりと遅いテンポで、大きなフレージングのもと
実に心に染み入るような音楽をつくっています。

それは、神様に対して「こんな罪人の私を憐れんでください」という、下から
上への視線であり、下から神様に発する音楽になっているんです。

そこが僕の心にすごく響いてくる所以ですね。

聖書にこんな一節があります。
ちょっと長いですが引用させてください。

ルカ伝 18:9

自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスは
このようなたとえを話された。

「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは
取税人であった。
パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々の
ようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようでは
ないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その
十分の一をささげております。』

ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸を
たたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』

あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人で
はありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする
者は高くされるからです。」

From juncoop To at 2005 02/03 20:22 編集 返信

ヴェルナーのマタイを聴く  その2


●バッハ/マタイ受難曲BWV244 

フリッツ・ヴェルナー指揮

プフォルツハイム室内管弦楽団/ハイルブロン・H・シュッツ合唱団

ギーベル(S)Gunther(A)クレプス(Evange) ケルヒ(Jesus) ウェデルマン(B)バルヒェット(vn) コッホ(gamb) ランパル、ラリュー(fl) ピエルロ、シャンボン(ob) アラン(org)

1958/ワーナークラシックス


今日は改めてヴェルナーのマタイを冒頭から聴いてます。合唱「娘たちよ来たりて我らとともに嘆け」毎回聞いて感動してます。まさに受難曲にふさわしい堂々たる合唱。ヴェルナーの演奏はかなり重い表現ですが、低音を強調している訳ではありません。 (合唱) 「やはり祭りの間はいけない、 民衆の中で騒ぎが起きないようにしよう」はかなり早いテンポで演奏されており、激しいです。このテンポはこれまで聞いたマタイで一番速い。【ユダの裏切り】この部分はとても好きなのですが、

7.[聖句]
その時、十二人の一人で イスカリオテのユダという名前の者が
祭司長達のところへ行って言った。
(ユダ) 「彼を貴方に引き渡せば いくらくれるのですか?」
そして彼らはユダに銀貨三十枚を約束した。
この時からユダはイエスを裏切る機会を狙っていた。

8.[ソプラノ・アリア]
血を流してください、優しき心よ!
ああ、あなたが育てた子、 あなたの乳房を吸った子は
今にも育ての親を殺そうとします。 その子は蛇となったのですから。


このソプラノ・アリアはとても厳しい音楽でこのユダの裏切りを嘆くところが悲痛で心に伝わってきます。このフルートのパートはよく練習しました。私がマタイを聴き始めた頃、このアリアはとても印象に残りました。ヴェルナーの演奏はリヒターに比べると、厳しさには欠けますが、この嘆きはとてもよく伝わってきます。アグネス・ギーベルのソプラノは素晴らしいですね。


次回に続く




From juncoop To at 2005 02/03 17:14 編集 返信

今日の音楽

皆さん、こんちは・・。寒さもちょっと和らぎつつあります。しかし、今朝、うちの家庭菜園のソラ豆の苗を見ますと、なんと、しなびております。ここ2〜3日の冷害にやられました。とてもまずい感じです。農業は甘くありませんね。自然が相手ですから、この2日間かなり雪とかで温度も氷点下になり、温室かなにかにするべきでした。ああ悔やまれる・・・ひろしです・・。
ところが同じ豆でもエンドウ豆は全然問題ありませんでした。少し救われました。

●ところでこの掲示板に来られる方はskunjpさん、アマデオさんをはじめ、いいかたばかりです。皆さんのご支援があるからこそ、このHPはもってます。掲示板には、他人に対しての中傷とかは暗黙の了解で絶対ダメなのですが、まあ音楽についてはそれぞれ皆さんの好みがありますし、ご自分のお好きな音楽と演奏をかなりお勧めということで、強調されるのはいいかと私は思ってます。だからといって、他の演奏家の悪口は差し障りが大いにあるので、皆さんのおっしゃるとおり差し控えなければなりませんね。気をつけたいと思います。

今日はひきつづきヴェルナーのマタイを聴いていきたいと思いますが、ドラマ「優しい時間」がありますので、あまり聞けないかもしれない。


From Skunjp To juncoop5@goo at 2005 02/02 22:45 編集 返信

皆さん、こんばんは

お手柔らかに反応していただきホッとしました。
アマデオさんって良い方ですね。(^o^)
これからもいろんなお話ししましょう。
宜しくお願いします。

さて、ひろしさん、いやjunさん大変でしたね。
僕も暮れに雪の高速でスピンして事故ったので人ごとではない気がします。
どうかお気を付けて。

さて、ヴェルナーの第三巻ですが欲しいですねー。
中古でないかなー(^^;)

ニコライエヴァのフーガの技法ですが、宇宙的です。
とても深くて大きくて、しかも感覚的な喜びにも欠けていない。
おまけにハイペリオンで録音もグー!



From juncoop To at 2005 02/02 21:49 編集 返信

ヴェルナーのマタイを聴く  その1

ヴェルナーのマタイ受難曲をこれまで2〜3回聴いております。

数聴きこみをするにつれて、だんだん把握しつつあります。優しい癒しのヴェルナーと言いつつも、このマタイの合唱・・特に群集の合唱なんですが、かなり激しいです。
ヴェルナーのマタイが録音されたのは1958年ですから、リヒターの第1回目の歴史的録音と近い時期でした。


●バッハ/マタイ受難曲BWV244 

フリッツ・ヴェルナー指揮

プフォルツハイム室内管弦楽団/ハイルブロン・H・シュッツ合唱団

ギーベル(S)Gunther(A)クレプス(Evange) ケルヒ(Jesus) ウェデルマン(B)バルヒェット(vn) コッホ(gamb) ランパル、ラリュー(fl) ピエルロ、シャンボン(ob) アラン(org)

1958/ワーナークラシックス


時間がないので今晩は、少し聞いていますが、演奏を問わずに純粋にマタイという音楽は本当に素晴らしいです。第2部の冒頭アルト・アリアについて言うなら、アルトソロの途中の合唱はヴェルナーの場合とても優しい歌い方となってます。このアリアはmont先生も涙すると言われたアリア。とても悲痛な感じですね。これから十字架への道を歩むイエスを嘆くかのように聞こえます。このアリアは本当に泣いているように聞こえます。

第二部

30.[アルト・アリア&合唱]
ああ、今やわたしのイエスは去りました!
何処へあなたの恋人は行ったのですか?
おお、女性の中で最も美しい方よ。
わたしはあの方を見る事ができるのでしょうか?
何処へあなたの恋人は向かったのですか?
ああ!わたしの子羊は虎の爪の中、
ああ!わたしのイエスは何処へ?
それならわたし達もあなたと共に彼を探しましょう。
ああ!わたしは魂に何を言えばいいのでしょう?
魂が不安気にこうわたしに問いかけたら。
ああ!わたしのイエスは何処へ?



そして大祭司の裁判での証言のあと
34曲35曲テノールのレシタティーボとアリアはガンバの伴奏の元、むなしく聞こえてきます。


34.[テノール・レツィタティーフ]
わがイエスは不正な嘘にはじっと黙り、
わたし達に示そうとしている、
その憐れみに満ちた心が
わたし達の為に受難をしようとしている事を。
そしてわたし達も同じ痛みにある時は
イエスと同じように
迫害の中でじっと黙っているべきであると。

35.[テノール・アリア]
耐え忍べ!
不正な舌がわたしを突き刺す時も。
わたしが自分の罪無く
侮辱と嘲りに苦しんでいるなら、
ああ、愛する神が
わたしの心の無実に報いてくれるだろう。


このヴィオラダガンバの伴奏のアリアは聴いていて辛いです。ヴェルナーはガンバ1とコンティヌオで伴奏しています。


そして

(合唱)
「言い当ててみろ、キリストよ、
おまえを打っているのは誰だ?」


この合唱はとても激しい・・・かなりの憎しみのこもった合唱!
そして次のコラールによって憎しみの合唱のあと救われるかのように素晴らしいコラールが響きます。


37.[コラール]
誰があなたをそのように打ったのですか?
わが救いよ、誰があなたに多くの労苦を
それ程ひどく負わせたのですか?
あなたは決して、わたし達やわたし達の子供達の様な
罪人ではありません。
あなたは悪を為す事については何も知らないのです。



つづく

From アマデオ( Mail ) To at 2005 02/02 21:36 編集 返信

大雪、大嵐

 ジュンさん、大変でしたね。鹿児島でも積雪5pを記録しました。朝、自転車で走りながら、いつ滑ってこけるかと冷や冷やでしたよ。

 さて、ジュンさんには感謝しなければなりますまい。このように音楽について、また、その受け止め方についてこんなに自由に論じうるこの掲示板を設けてくれたことにたいして。Skunjpさん、僕も自分の思ったことを好き放題書いているだけですので、大いに論戦を張って、議論を楽しみましょう。僕のバッハへの理解はまだまだですが、勉強させてください。こうしていろいろと皆さんの意見を読ませていただくと、バッハの音楽、またその他の作曲家の音楽に対しても、とらえ方や感じ方にいろいろと違いがあっておもしろいです。自分の主張にきちんと依って立つところがあるのがよく分かります。

 最後に、相対的と分かっていても、やはり自分の価値観を言い張り続けることもまた大切だと思います。そして、議論は気持ちよく、ですね!

From juncoop To at 2005 02/02 20:26 編集 返信

朝の通勤パニック!

毎度です・・。今日は関西地方、年に1回あるかないかの着雪でした。恐ろしい・・・。

家を出ると、路面は積雪とともに粉雪が横に飛んでました。いつもの市バスぜんぜん来ない、10分遅れでやっと乗る、2本目の停留所でバスが急停止、前が長い下り坂で、降りられない。駅まで歩いたほうが早いとか言われて、全員バスからほり出される。ところが私の革靴の底はツルツルリンで歩くとこけそうになる。身の危険を感じ、家まで靴を履き変えに行く。仕事に出るヨメに出会う。バスが止まったことを伝えて、二人で家に戻り、スタットレスをはいた車で行こうと企む。車で走ると、すごい坂道を登る手前で、他の車が塀にプチあたっているところを目撃。その横をゆっくりと通り急な坂をロウで上るがスリップして登れず。家に帰ることに・・・やはりチェーンがいるようだ。町は救急車のサイレンがなりまくっている。家に戻ろうとするとバスが客を乗せていたので、ヨメを下ろしてバスに乗せる。市の交通部もたまりかねて、塩化ナトリウムをばら撒き出す。おそいっちゅうねん・・。私はチェーンはめるのも面倒なので、会社に遅れることを連絡して、家に戻りバスに乗って駅に行く。JRは遅れながらも走っていた。大阪市内に入ると、雪など降っていたなどない様子。会社に着いたら、10時前でした。家に7時すぎに出て、会社は10時ということは、いつもの2倍の時間がかかってしまったとさ。ちなみにヨメからメールで「会社には行ったのか?」とありました。今日の通勤の服装は、ほとんど雪ん子状態です。


と言うわけで、今日はヴェルナーのマタイ受難曲聞いてます。

明日もまだまだ寒さは続く。そして明日の晩は22時からフジテレビのドラマ「優しい時間」があります。皆さん、ぜひ見てください。

ちなみに、私は「優しい時間」の主題歌「明日」をチェロで音とりしてまして、練習中であります。もうすぐ「明日」の譜面も届く手はずになっとるとです・・・。ひろしです。


ヴェルナーは不滅です・・。

From Skunjp To at 2005 02/02 17:18 編集 返信

一本取られたようです

>不本意ながら早退しました。へへへ。

・・・結構うれしそうですね。(^-^)

アマデオさんには一本取られたようです。

確かに、僕自身の評価が時間とともに変わるのを見ても、「価値判断は相対的」というのは
確かでしょう。

しかし百歩譲って、「絶対的な価値判断」というのも否定できないかもしれない。

たとえばバッハの音楽にしても、音楽の時流という「相対的な価値判断」の中で埋もれてしまい、
それがメンデルスゾーンの「絶対的な価値判断」によって蘇ったと言えるのでは・・・
それ以後のバッハ受容史を見ても、バッハの音楽の絶対的な価値というものが評価された
のだと思います。

結局、音楽批評といっても、個人の主観から全く離れた批評というものはありうべくもなく、
最終的には「相対と絶対のバランス」かもしれません。

ましてや、このような場所だから言いたい放題を言えるという側面もあると思いますし・・・ハハハ(^^;;

反論受付中・・・


※ただし自分の意見を主張するあまり、他の人を不愉快にする発言は考え物です。
自重せねば・・・(-_-;)


From juncoop To at 2005 02/01 21:48 編集 返信

最近入手したCD

ところで、レオンハルトの話題が出たので、レオンハルトの最近のCDについてお話しましょう・・。


●バッハ/カンタータ第208番/第215番

グスタフ・レオンハルト指揮

エイジ・オブ・インライトゥンメント管弦楽団/合唱団

フリンマー(S)ドーソン(S)エルヴェス(T)ウイルソン=ジョンソン(B)

1996年/PHILIPS

このCDは、最近のものですが、レオンハルトの208番狩のカンタータはいいですね・・。208番は世俗カンタータでも初期カンタータに属し、コーヒーカンタータなどとはまた違った趣があります。トリオ楽章BWV1040が入っていたり、あの有名なリコーダー付アリア「羊は安らかに草を食み」など名曲揃いです。一緒に入ってます、BWV215は、ロ短調ミサのオザンナに転用された合唱で知られていますが、レオンハルトの演奏はとても輝かしいものです。この曲が思い出深いのは、過去にレオンハルトが映画「マグダレーナ・バッハ、バッハの思い出」でレオンハルトがバッハに扮し、この曲を演奏していました。この映画はレオンハルトのマタイ、BWV205、198、82などとても優れた演奏が収録されてまして、私がレオンハルトの演奏に魅せられたきっかけとなった映画でありました。レオンハルトの演奏は、とてもスケールが大きく、深い感銘を受けるのは確かですね。


From juncoop To at 2005 02/01 20:55 編集 返信

ひろしです・・・

ひろしです・・アマデオさんの反論・・きたーー!

恐ろしい・・・ごもっともです・・・おとなしくしてます・・・しばらく(大汗)






From アマデオ( Mail ) To juncoop5@goo at 2005 02/01 19:56 編集 返信

一面では同意しますが・・・

 ジュンさん、皆さん、お元気ですか?鹿児島では今日、通勤で使っているフェリーが運休し、不本意ながら早退しました。へへへ。
 さて、反論受付中・・・ということなので、早速!反論させていただきますが、ジュンさん、主観に基づく価値判断を絶対化して論じるのはやめましょうよ。リヒターがいいことは認めます。感動的です。しかし、同じように他の演奏家の演奏に価値を見出している者もいるということを考えると(僕はレオンハルトの温かく静かで沈思黙考するようなマタイが好きです。すごく感動します。申し訳ないけれど、リヒターよりも感動するかも。)、他の演奏を否定するほどに言い切ってしまっていいのかどうか。非常に危険且つ独善的な物言いに聞こえかねませんよ。ジュンさんの気持ちは分かる。僕は同じことをレオンハルトのマタイについて言いたい。しかし、音楽の好み、受容は個人の主観、感性に大きく影響されます。だから、僕は言い切ることはしません。バロック奏法やらオリジナル楽器論でも僕はこのような方向になっています。すべての物事は相対的なのです。相対的な世界の中で、自分の位置を確信を持って決めればいいと思います。

From juncoop To at 2005 02/01 19:45 編集 返信

今日の音楽

ひろしです・・・今日はすっごーく寒いとです・・・。思わず、通勤に、毛糸のスキー帽かぶっていきました・・。陸橋は凍結状態・・・恐ろしい。

冗談はさておき、皆さんこんばんわ。冷えますな・・。風邪を召されませんように。


★skunjpさん

リヒターのマタイにご賛同いただきまして、有難うございます。とても嬉しい限り・・・。
それから、ニコライエワのフーガの技法はどんな演奏ですか?気になります。ぜひ感想をお聞かせください。

ところで・・・

「(小声で)ただし、僕はそれ以外のカンタータは今のところ重すぎて聴けてません。・・・ヴェルナーにはまってますんで。(^^;;」


誰ですか?! そこでコソコソ小声で話しているのは!(怒)=3

(^^;;;; ←S君大汗・・

確かにヴェルナーよろしいおすな・・・。リヒターはちょっと力み過ぎなところがありますね。あたたかい演奏でリラックスするなら確かにヴェルナーですね・・。私は意外とカンタータ第105番のような深刻な感じの音楽はリヒターのような苦悩に満ちた演奏が好きです。ヴェルナーに苦悩や緊張感、悲壮感を求めるのは少し無理がありますね・・。

まだまだ続く、カール・リヒター特集であった・・・。

続く・・・




From Skunjp To juncoop5@goo at 2005 02/01 17:54 編集 返信

同感です!

>群集のイエスに対する憎しみの合唱とか、やっぱりこの人は神の子であった・・
という感動的な合唱。
 あんなに激しい攻撃の合唱・・・あんなに崇高で感動的な合唱・・
 他に誰が表現しましたか?

してません、してません。

あの箇所(ただし新盤)がリヒターに匹敵する演奏は他に聴いたことがありません。

グッテンベルクはかなり迫ってますが、全体的な深さ、迫力、感銘度の高さはリヒターの敵ではない。

マタイ、ヨハネ、クリオラ、ロ短調ミサ、そしてカンタータの一部(21,56等)は人類の宝!

(小声で)ただし、僕はそれ以外のカンタータは今のところ重すぎて聴けてません。
・・・ヴェルナーにはまってますんで。(^^;;


>>> 昨日はディスク湯にONにて、ニコライエヴァおばさんのフーガの技法(2枚組)を1.7kでゲット!
うれしー (^^)/ 凄い演奏です。

From juncoop To at 2005 01/31 22:31 編集 返信

カール・リヒター特集その2/カール・リヒターについて思うこと


2月15日にリヒター没後24周年となりますが、ここで最近私が思うリヒターについて語らせてください。

リヒターについて世間では
「一貫して現代楽器を使用した彼のバロック音楽の演奏スタイルは、古楽派の台頭で過去のものとなっており、さらにアカデミズムと無縁の人であった(バッハ作品の演奏ではいわゆる旧バッハ全集を使用していた)ため欧州では評価が二分されている。」
と言われてますが、過去のもの・・でしょうか?

私はリヒターについては、マタイを代表として、今の時代にも感動を与えるものと考えており、決して過去のものとはなっていないと思います。古楽派の台頭の時代が今としてもですね、リヒターのようなマタイやヨハネを表現した演奏が未だに現れないのは事実ではないかと・・。レオンハルトやアーノンクールのマタイを聞いてもリヒターのような感動がありますかどうか・・・疑問であります。

群集のイエスに対する憎しみの合唱とか、やっぱりこの人は神の子であった・・という感動的な合唱。

あんなに激しい攻撃の合唱・・・あんなに崇高で感動的な合唱・・

他に誰が表現しましたか?

皆さん、もう一度、いろんなマタイを思い出してください。レーマン、メンゲルベルク、クレンペラー、カラヤン、ミュンヒンガー、マウエルスベルガー、アーノンクール、レオンハルト、ヴェルナー、ヨッフム、コルボ、リリング、鈴木など数々ありますけど、リヒターに本当に及んでますかね?

私は、及んでいないと確信します。


反論受付中・・・



From juncoop To at 2005 01/31 20:12 編集 返信

ヴェルナーのカンタータ第85番を聴く

皆さん、こんばんわ。今日からまた寒波到来・・・。ひろしです・・・寒いとです・・。


●バッハ/カンタータ第85番「われは善き牧者なり(Ich bin ein guter Hirt)」BWV.85(1725)

フリッツ・ヴェルナー指揮
プフォルツハイム室内管弦楽団/ハイルブロン・H・シュッツ合唱団
インゲボルク・ライフェルト(S)ヘルタ・テッパー(A)ヘルムート・クレプス(T)フランツ・ケルヒ(B)
ピエルロ、シャンボン(ob)オンニュ(fg)ヴェンツィンガー(picVc)バルヒェット(vn)アラン(org)

1959年第1回目録音/ワーナー・クラシックス

85番の冒頭から、苦悩のアリアですね。ケルヒのバス・アリアですが、オーボェの嘆きの伴奏と共に心に染みますね。第2曲ヴェンツィンガーの技巧的チェロもまた渋い・・。アリア伴奏とは言え、このチェロ旋律だけでも立派な楽曲。第3曲二つのオーボェの旋律の愛らしく可愛いこと・・。ソプラノはコラール旋律のように歌う。このカンタータで中核を成すのは第4曲、テノール・レシタティーボと第5曲のテノール・アリアでしょう・・。この第5曲のテナーアリアは実に素晴らしい! 荘厳な弦のゆっくりと川が流れるような優雅な旋律は、これこそ! 安らぎと癒しに他なりません。

4.[テノール・レツィタティーフ]

もし雇い人が眠ってしまっても、
この羊飼いは自分の羊たちの側で起きているだろう。
それでどんな羊も望んだように静かに
牧草地と餌場を楽しみ、
こうした生活を送る事ができるのだ。
たとえ地獄の狼が入り込もうとし、
この羊たちをむさぼろうとしても、
この羊飼いが羊たちを狼の口から守ってくれる。

5.[テノール・アリア]

見よ、愛の為す業を。
わたしのイエスは良い羊飼いとして
自分の者達をしっかりと囲んで守り、
十字架の上で流したのだ。
彼らの為にその貴い血を。


このアリアを聴いて感動せずにはおれましょうか・・!

最後のコラールは素晴らしいのだが、1959年の古い録音のためか、ちょっと音質は悪いです。しかしさすがヴェルナーあたたかい演奏でした。